【筧の話】 梶井基次郎 |
筧ってなんだろう・・・。
とりあえず読み進めていくと、『中が空洞で水が通っているもの』という印象。
ちゃんとした形が分からないと、これを読んでいる時の私の世界が完成しないので、ちょっと調べてみる。
・・・・なるほど、水を引く装置ね、人工物か・・・ 勝手に『そんな形の植物』という幻想を抱いていたので、ちょっとがっかりしてしまった。
まぁ、それは置いておくとして、この話は何となく感じやすい。
主人公が気分によって、散歩のコースを『街道か山道か』で変えることも、静かな杉林が、ゴシック建築の中を歩いている時に感じる、静寂と孤独とを感じさせる所や、聴覚と視覚とが合わさらない感覚など、私も何回か、もしくは何回も経験している。
一度感じた事のある感覚を思い出しながら読んでいくと、実際にその物語の中にいるような感じがして面白い。
そしてもう一つ。
―私は深い絶望を目の当たりにしなければならなかったのである。
―その一方は理想の光に輝かされ、もう一方は暗黒の絶望を背負っていた。―
一つの現象から、全く異なる二つの表象・・・ 私はこの感覚が好きなので、ここを読んでいたときは気持ちテンション高かった。
そして、その後の言葉にハッとした。
『そしてそれらは私がはっきりと見ようとする途端一つに重なって、またもとの退屈な現実に戻ってしまうのだ。』
これも何となく分かる。 言葉のとおり、焦点が定まらないといった感覚だろうか、私はその感覚を気にとめていなかったことに気付いた。
よく考えてみれば、それも日常生活を送っていれば、経験している現象なのだ。 よかった、これで次からは、その部分を意識しながら感じられる。
本を読むといい・・・どんどん一人遊びが増えていく、私はその分だけ、退屈しなくても済む事になるのだから。
しかし、最後の言葉は少し分からない。
『課せられているのは永遠の退屈だ。生の幻影は絶望と重なっている。』
言葉としては分かる。 その考えも分かる。 ・・・・しかし何だかしっくりこない。
・・・・・ニュアンスの問題だろうか、若干マイナス思考な感じに聞こえるから、私の方が拒否しているのか・・・
兎も角、最後だけは上手く感じる事が出来なかった。
・・・・・・・ここは、どこか舞台になっている場所があるのだろうか、有るのだとしたら、いつかはいってみたいものだ。
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