=こころ=

  夏目漱石

 

【Kの意思】

 

 Kが言った覚悟とはどういった覚悟だったのだろうか…


自分の道を、自ら踏み外してしまったその時は、死んで償いをという意味か…

あるいは、今までの人生を全否定する覚悟なのか…


なんにせよ、先生への当て付けで死んだとは到底思えないのだよ。

 

 

 

 

はい、というわけで到底思えないのです。

 

 

Kは自殺した。まず、それは確かだ。

しかしだねぇ、私は高校の授業での教え方というか、なんというか……

《山月記》のときと同様、授業が気に入らなかったのだよ。


何故って、教師は《こころ》の授業も最後という頃にこう言ったのだ。

 

 


『『K』は『私』への当て付けで死んだ。全く嫌な奴。俺は気に入らないね。』と。

 

 



《山月記》の時の教師とは、また別の教師なのだが………(だから、教師である立場で、授業中にそういう発言をすると言うことは、何も知らずにテストのために授業を受けている生徒にとっては、教師の発言が全てだと思ってしまう事もあるという事を考えて頂きたい。個人的にどう思おうと勝手だが、教師はもっと授業中の発言に責任を持つべきだ。)…あの学校の教師はなんたってこう、仕事に私情を挟むのか……個人でなく教師として教科書を読んでほしい。



 


なんでこれほどまでに憤慨するかというと、そもそも『Kが自殺したのは、私への当て付け』というのが気に入らないからだ。それはもう、個人的に。



 


いや、確かにそういう考えも有るだろう、完全に間違えているとはいわない。


しかし、Kだって自殺するまでのあいだに、色々な心の葛藤があったはずだ。
だからこそ『覚悟』という言葉もでてきた。

 

 

 

・・・それなのに、Kの心をすっとばして『当て付け』……など……

 



 

そんな《キレやすい若者》なノリで自殺したと言われても、到底納得なんて出来るわけがない。

(例によって、授業で受けた『覚悟』の意味は覚えていない。……本当に記憶にない。)

 

 



というわけで、Kの言う『覚悟』の意味と、自殺までの心情を考えてみる。



 


まずKとはどういう男か。


彼は実家が仏教をやっていて、その息子であるKは、その宗教にとても熱心だった。

どれくらい熱心だったかというと、他の家に養子にやられて、医者になることを条件に、その家から授業料などを出してもらっていたにも関わらず、その『道』に熱心だったKに医者になる気など毛頭なく、それでは養父母を欺くのと同じではないかと先生に言われても、『道』を貫くためにはそのくらいしても構わない。と言ってしまうほど熱心だったのである。


 


次に、先生との関係についても、少し考えてみる。


先生とは幼なじみで、先生が中学のころ、Kの苗字が突然変わった事に驚いていることから、二人はそれより前から友達だったといえるだろう。


そして、読む限りでは、東京に出てきた二人には、お互いに仲の良い人物は他にはいない。

 


Kから先生へはあまり働きかけなかったようだが、先生はKが勘当されたりするようになった頃、『Kの意見に賛成したからには、少なからず自分にも責任はある…』と思い、Kの義兄に『万一のことがあった場合、私がどうにでもするから、安心してください』との意味合いの手紙もだしている。


KにはKの強い信念『道を貫く』という、それこそ親だろうが親友だろうが、誰に意見されても曲げない想いがあった。

しかし、その次にはきっと先生との絆があったはずだ。

長年一緒に学び、何でも話し合える仲だそうだし。


そして私は、Kとはおそらく、あまり好意をもたない人には近付かない性格なんじゃないかと感じる。当人も友達はいないと答えていた。

ある種頑固で、強情なんじゃないかと。


そうなると、話は飛ぶが、先生にお嬢さんが好きだと打ち明けたのも、先生のことを信頼していて、そこに何か絆を感じていたからではないか。…そう思うのだ。

 

 

 


兎角、Kと先生は仲がいい、そしてKの『道』への執着はすさまじい。

この二つを踏まえて、この先を考えてみよう。

 

 

 

Kは、『道』のことであったり、未来の事であったり、哲学や夢のことをおおよそ常に考えている。

常に、自分の考えで頭や心などといったものが満たされていて、周りのことはあまり考えていない。

さらに、こと恋愛に関しては、『女は頭が悪い』と頭から思っていたほどだし、『道』のことも有るので、今まではそう頻繁に考えた事もないだろう。

 

経験のないKは恋愛沙汰には疎い。他人についても、自分についても。

 

だから、自分がお嬢さんに恋をするまでは、勿論先生がお嬢さんに恋をしていることには気付かない。

恋をしてからは、自分のことで精一杯で周りを見ている余裕なんてない。

おそらくKは、恋をしていると自然と出てくる葛藤と、恋をしている自分と『道』との間の葛藤との二つの葛藤に苦しんでいたのではないか。

 

そして、他人に多くを語らず、自分の中で答えを探すような男が、その葛藤に耐え切れず、ついに先生に打ち明けたのではないか。

 

 

そして色々と迷って、自分で自分がわからなくなり、図書館から先生を連れ出し、先生から自分を見た場合、自分はどううつるかと客観的な意見を求めた。

 

このときにKの言った『進んでいいか、退いていいか』というのは、勿論お嬢さんに思いを打ち明けていいのか、悪いのか、とそういう意味であろう。

しかし、それが世間一般の気持ちからなのか、Kだからある『道』に対してだかは、よく分からない。しかし恋をしているわけだから、ただ単に戸惑っているだけのようにも思う。

 

そして、先生の『退こうと思えば退けるのか』という問いに対して、ただ『苦しい』という返事だけなのも、恋する青少年という風にもうつる。

 

・・・それこそ平生のKからしてみれば考えられない事で。私は上に書いた通りにしか思えないのだが、おなじくらい、はたしてKの信念とやらはそう簡単に折れてしまうものなもかと疑問に思う。

 

 

そしてあの先生のセリフ。

 

『精神的に向上心のないものは馬鹿だ。』

 

 

この言葉を最初に言ったのはKで、その時は自分が熱心に日蓮の話をしているのを全く取り合わない先生に、おそらく軽蔑と憤慨とを込めて言い放ったのである。

このときは、『道』に熱心だったKの事、そういう問題に取り合わない先生が向上心に欠ける愚か者だと、言葉の通りに思ったのであろう。

 

そして、この公園で同じことを先生に言われたときに、どう感じただろうか。

 

『精神的に向上心のない物は馬鹿だ。』

 

最初に言ったのは自分だ、どういう意味合いかも覚えているだろう。

それを、恋愛に現を抜かしている時に言われたのだ。

 

 

Kはそもそも、『道のためには全てを犠牲にする』ことが第一信条であり、恋愛さえも道の妨げになる物と考え、それを否定する先生を侮蔑するほどの考えを持っていたのだ。

 

 

『精神的に向上心のない物は馬鹿だ。』

 

二度目をいわれた時に、Kは

 

『馬鹿だ』、『僕は馬鹿だ・・・』とだけ答えた。

 

先生にはこれが『居直り強盗』のように感じられた。

『あぁ、そうだとも、僕は馬鹿だ、精神的に向上心なんて恋愛を前にして言っていられない。もう馬鹿でいい。』と、・・・まぁ、ちょっとオーバーだが・・・そう思ったのか・・・。

 

私には、これは『今までの『道』に反し、恋愛ごとで心を痛めていた自分が馬鹿だった。』と、それこそ先生の思惑通りの考えをしているような気がする。

それほど、Kの『道』に対しての思いが強いと感じたから。

 

そして、此処で改めて『お嬢さんへの想い』と『道』との間で葛藤が起こる。

それがまた苦しくなってきて、この話をとりあえずよしてほしいと思い、頼むが、『話を止めたところで、君の心でそれを受け止める覚悟がなければ仕方ないじゃないか、いったい今までの君の主張していた事はどうするつもりだ』といわれて追いつめられてしまう。

 

 

『それを受け止めるだけの覚悟』の『それ』とうのは、『Kが道に反している現実』のことなのか、『お嬢さんを諦める事』なのか、『お嬢さんが好きな自分』のことなのか・・・解釈が違えばこの後のKの『覚悟』という言葉の意味も変わってくる。

 

『覚悟?』

 

『覚悟、―――覚悟ならない事もない』

 

最初の解釈の通りだとすれば『事実を受け止め、道にそむいた自分に罰を与える覚悟』になる。(この場合、自殺したのもこのためかなぁ・・・と思ったりもする。)

真ん中のなら、そのまま『お嬢さんを諦める覚悟』、最後のなら『道のことよりお嬢さんを選ぶ覚悟』であったりする。(そして先生はこちらの意味だと思い込んでしまっている。)

 

 

そしてこの後、暫くして先生とお嬢さんがくっついたという話を奥さんから聞かされる。

 

 

 

 

・・・さて、いったいKはどう思ったろう。

 

 

今まで信じて疑わなかった先生の裏切りに腹をたてたか、そこで初めて自分以外のことをみられるようになり、自分のことしか考えずに先生に打ち明けてしまったことを恥じたか、『友情』も『恋愛』も嫌になり、ただそんなことで『道』に反してしまった自分に罪悪を感じていたか・・・・

 

・・・私としては、Kの事だから、腹をたてて、ただそれだけとは考えにくいですが。

 

 

兎も角、自分の中で何かしらの悟りを開いたのではないかと思う。

 

そして、その結果として、『死ぬ』ことに辿り着いたのではないだろうか。

 

 

遺書の内容としては、『自分は意志、実行力が弱く、生きていても行き先に望みがないから死ぬ』『今まで世話になった先生への礼』自分が死んだ後のもろもろの後始末の頼み『奥さんへの詫びの頼み』

 

そして

 

『もっと早く死ぬべきだったのに何故今まで生きていたのだろう』という意味合いの言葉・・・。

 

 

意味としては、『道』に反してしまった自分に絶望し、生きていても仕方のない人間だ。・・・という風に感じる。主に自分に対しての言葉の様にだ。(しつこいようだが、あてつけには見えない。)

 

 

そして、お嬢さんの事についてひとつも書いてない点について。

 

これは多少あてつけがましく感じないでもない。

奥さんの名前は出してあるのに、お嬢さんの名前が一つもないのは不自然だ。

しかし、Kの『今になってわざわざ知らせる事もない』という意地にも思えるし、『道に反した愚か者な自分』を隠す、恥隠しのようにも取れる。

 

 

 

遺書のなかでの先生への礼や頼みごとをみると、やはり嫌味やただ腹を立てているようには思えない。

 

 

Kは誰よりも先生を信頼していたのだ、時には自分よりも・・・・自分で自分がわからなかった時に判断を求めるほどに・・・・・そこまで信頼していた人物に裏切られる事は、言葉にしがたいほどの苦痛と衝撃だっただろう。

 

しかし、そこまで信頼し、絆のある仲であったからこそ、『あてつけで死んだ』なんていう見方をしたくないのだ。

 

 

私は絆というのが何よりも強い事を信じていたいのだ。

 

 

 

 

 

相変わらず話がまとまらないが、私はKという人物は、誰よりも純粋で、真っ直ぐで、一生懸命で、優しい心を持った人間だ、と思っているということで、無理矢理ながら話をまとめさせていただくことにする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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